節目の年

遅ればせながら、謹賀新年。本年もよろしくお願い致します。

この2008年は、何かと節目の年だそうだ。平日の毎朝聴いているJ-waveのラジオで、西川りゅうじん氏が言っていたのだが、それによると…。

和同開珎発行1300年、東京タワー開業50周年、関門トンネル開通50周年、成田空港開港30周年、青函トンネル開通20周年、六本木ヒルズ開業5周年、福岡ドーム開場15周年、赤毛のアン出版100周年、Jリーグ開幕15周年、和田アキ子歌手デビュー40周年、宇多田ヒカルメジャーデビュー10周年などなど。ちなみにミュージシャンは1998年って当たり年らしい。

東京新聞の夕刊には『源氏物語』千年紀、つまり『源氏物語』が誕生して(明確な初版がわかるわけではないが、紫式部日記などの記述から、だいたい1008年には読まれていたのは事実らしい)、今年は1000年だとか。でも映画『千年の恋 ひかる源氏物語』が制作された2001年も、確か『源氏物語』完成から1000年だとかじゃなかったか…。まあ、いいや。

よくよく考えたら、自分が教員生活に入ったのが1998年、平成10年だった。今年は自分の教員生活10年目だ。

…変わったのか、10年前の自分と今の自分は? これは、真面目に冷静に分析した方がよさそうだ。

改めて、本年もどうぞよろしくお願い致します。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

NHKラジオ第一で川田晴久の番組があります

11月23日(金)午後7:20~午後10:55に、NHKラジオ第一で、川田晴久を取りあげる番組が流れます。

---------------

昭和モダンの創造

チャンネル :ラジオ第1
放送日 :2007年11月23日(金)
放送時間 :午後7:20~午後10:55(215分)

~昭和を駆け抜けた音楽家たち~

▽人々の心を惹きつけた昭和のモダン音楽
▽昭和の歌謡界に大きな足跡を残した3人・その音楽性を探る
  ~作曲家・服部良一、歌手・淡谷のり子、ボードビリアン・川田晴久~

出演、作曲家:服部 克久・歌手:美川 憲一、元女優:岡村 和恵、作曲家:服部 隆之。

------------

岡村和恵さんは、川田晴久の娘で、私も大変お世話になっています。

ご興味ある方は、ぜひお聞き逃しの無いように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

川田晴久のギターを探しています!

久々にホームページを更新しました。

私は個人的なテーマとして、川田晴久のことを研究しています。川田晴久は、私の大伯父にあたるボードビリアン、芸人、喜劇役者です。

今年は川田晴久の生誕100年にあたる節目の年です。そこで今、川田晴久が使っていたギターの行方を捜しています。詳しくは、ホームページの方に写真入りで書いてありますので、そこをご覧下さい。

Okason's room

正直に申し上げて、昔のことですし、情報がありません。写真だけです。あとは、このホームページをご覧になった方で、川田晴久について少しでも興味・関心のある方、または生前の川田と交流のあった方がいれば…、というのを切に願うだけです。もし御存知の方がいっらっしゃれば、コメントまたはメールをください。ホームページにメールのリンクがあります。よろしくお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

イッセー尾形一人芝居

7日夜、高校時代の友人に誘われ、イッセー尾形の一人芝居を観に行った。チケットがあるんだけど行ける?、ということで即答した。イッセー尾形の一人芝居はなかなかチケットがとれないことで有名だ。ビデオとかでイッセー尾形を観たことはあるが、ライブで観るのは初めて。

公式サイト

会場は原宿クエストホール。何度も前を通ったことあるが、入るのは初めて。久々に原宿をすこしぶらついたが、気のせいか工事中やシャッターの閉まっている店舗が多い。

まず驚いたのが、客入れの時間。ロビーが縁日のようになっていて、フリードリンク、フリーフードになっていること。指圧マッサージまであった。ワイン飲んで、ドライフルーツ食べて、サンドイッチ食べて。開演1時間前から開場だったのは、この自由に飲み食いできる空間が設定されているからだったのだ。こんなことなら、もっと早く入場すればよかったと後悔した。

今回は全て新ネタとのこと。もう笑いっぱなし。どっと全体的に大笑いもあれば、一部からもれるクスクス笑い。一瞬、間があって、クスクス笑いが連鎖して爆笑になったり。

一ネタ終えるごとに、下手スペースで着替え・メイクをする。でも、あまり裏側を見せているという感じではない。

演劇って、舞台と客席が一体化するコミュニケーションだが、イッセー尾形の舞台は、客席と舞台の間に透明な壁があって、そこにははっきり境界線があった。客席の私たちは「あー、こんな人いるなぁ」とこっそり「のぞき見」をして笑っている感覚。でもそれがよかった。集中力のある完成された芸で、迎合しなくても客席と一体化できる、ということ。アドリブ的なコミュニケーションでなくても、客はちゃんとついてきてくれる、ということ。それが新鮮だった。ある意味、落語と似ているのかも…。だから素が出るのは、最後のカーテンコールだけ(当たり前のことだけど、それくらい集中力の高さとレベルの高さを感じた)。

いい芝居を観たというより、いい芸を観た、いいライブを観たという感想。目線とか、パントマイムとか、細かい小技も効いていて、とても幸せな時間を過ごした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

マクベスとMステ

16日(土)夕方、赤羽橋の麻布 die pratzeへ。東京タワーの足元だ。

THEATRE MOMENTS公演「マクベス -シアワセのレシピ-」を観劇。
http://www.moments.jp/

客入れから役者さんが舞台にいて、客席誘導とビッキーズばりにあめちゃんプレゼント。ちょっと驚き笑ってしまった。客席アンケートで「あなたがされた告白」みたいなのがあり、それを元にした即興芝居が幕開きにあり、そこから急に本編へ入っていったので、ちょっと虚を突かれた感じで面白かった。装置らしい装置は無く、新聞紙と赤い糸だけで舞台を展開していき、役者の動きもパフォーマンス的要素が多く、抽象的な舞台作りだった

面白かったが、観終わってみて何かラストに微妙な違和感があった気がして、終演後、出演していた同期の友人と話して、その理由がわかった。マクダフが出て来なかったのだ。ああ、そういえばそうかと思い、でもこういうのもありかなと思った。

-----------------

たまたまハヤカワ演劇文庫でワイルダーの『わが町』を読んでいる。それでもそうだが、客席と舞台の境目(プロセニアムアーチと言ってもいいか?)を無力化する試みというのがある。多分それは、芝居の裏側を観客に見せることだと思う。いわゆる異化

蜷川幸雄の舞台だと、客入りから役者が舞台上でメイクをしている。平田オリザの舞台だと、客入れから役者が舞台にいて動いていて、知らぬ間に本番が始まる。役者が袖からでなく、客席から登場するのもあるが、どれもみな、芝居の裏側を見せるリアリティだろう。

ふとミュージックステーションを思う。音楽番組だと、歌う直前まで歌手は司会者とトークをしていて「じゃ、準備お願いします」みたいな感じで、歌う。本番直前まで「素」であり、すぐ「演技」に入り、また「素」に戻る。歌番組ってそういう仕組みだ。音楽の場合って、こういうのが多いかもしれない。合唱で袖からぞろぞろと壇上へ歩いてくる時、指揮者が挨拶する時、あれは「素」でなんかモジモジした感がある。で、チューニングなり、指揮者の手が上がるキッカケとかで、サッと本番になる。だいぶ前だが、フジ子・ヘミングのピアノを聴きに行った時、椅子に掛けて弾く直前「怖いわ…」とぼそっとしゃべって、一瞬客からフフッて笑う反応があって、でも次の瞬間もう鍵盤を叩いて演奏が始まったことがあった。

蜷川幸雄も平田オリザも、客入れ時の舞台は計算された「素」だと思う。Mステみたいに開演直前まで普通に素のトークをしていて、さあ開演・本番というわけにはいかないと思う。私自身の体験から言うと、客入れから本番まで普通に雑談している役者もいれば、ずっと一人で隅にいる役者も、ずっとヘッドフォンで音楽聴いて集中力を高める役者もいる。演技は集中と解放と体力の絶妙なバランスで成り立つものだから、演劇の客入れの時は、原則としてMステみたいにはいかないだろう

今回観たマクベスは客席アンケートの即興劇(実はアンケート自体が「仕込み」だったりして…?)から、本編に移行する幕開きだった。そう言った意味で、幕開きの部分だけ、ちょっとミュージックステーション(Mステ)的だななんて思ったりしたわけである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「こころ」と「罪と罰」

久々、なんてレベルじゃない、久々の更新。

4月から新しい高校での勤務が始まり、なんとか過ごしている。今度の学校は音楽やバレエのコースがあり、演劇部員は放課後も個人的にレッスンなどで忙しい。だから演劇部は不定期で、公演時期に活動するかたち。でも演劇に前向きな生徒が多いので楽しい。

久々に芝居を観てきた。

---------------------

8日夜。六本木の俳優座劇場にて、シェイクスピア・シアター公演「こころ」観劇。大学の同期すみちゃんが出演。
劇団のサイト

夏目漱石の『こころ』の舞台化である。小説に忠実なストーリー展開で、丁寧なつくり。舞台上に女性6人のコロス(劇の進行を語る黒子のようなもの)がいて、それが話を語っていく。そこに「私」や「先生」の場面がからんでくる。最初は面白いなと思って観ていたが、ちょっとコロスたちが単調に感じられた。コロスは基本的に座っているだけなので、もっと動きがあってもよかった。群衆がたくさん出てくる場面などは見応えがあったので、それが惜しかった。役者の演技も淡々としていた。途中で「私」が先生の遺書の場面からは「先生」になり、「先生」が「K」へと入れ替わり、また「私」と「先生」の語りがクロスして入れ替わるところは、面白かった。ただちょっと「私」の役者さんが、途中から朗々とした絶叫型の演技になってきて、少し違和感を感じた。そのテンションが淡々とした中ににじみ出るような感じだと、見応えがあったんじゃないかと思った。ラストは現代人の群衆が出てきて、みな『こころ』を読んでいるという形。狙いはわかるけど、まだその狙いまでいっていないような感じがした。同期のすみちゃんは「先生」の奥さん、お嬢さん役で可憐だった。


---------------------


下北沢「劇」小劇場にてJAMSESSION・6「 罪と罰 」観劇。
劇団のサイト

大学同期ののいちゃんが出演。演出の西沢さんは大学の先輩。 終演後に久しぶりに話をした。

かのドストエフスキーの『罪と罰』である。昨夜の『こころ』に続いて文学づくしである。青年が金貸しの老婆を殺す話である。面白かったのは主人公の青年を女性が演じていたこと。青年を追いつめる予審判事も女性(のいちゃんが演じていた)だった。原作は確か純真な娼婦が出てきたと思うが、ここでは出ず、青年の親友ラズミーヒンが重要な位置を占めていた。舞台中央の正方形のドア付きの台が回り舞台になっていて、それを役者がくるくる回すことで舞台転換するのが面白かった。

人を殺したという罪の意識が、回り舞台の動き、群衆の動きなどで、運命的な感じに表現されていて、それが芝居全体の緊張感を生んでいた。役者の演技も熱く、ぐいぐい引き込まれた。いい意味でリアルで熱く、演劇的だった。笑いのある舞台じゃなかったが、見応えがあった。最後の方で、役者の一人が台詞をとちって、それがとても残念だった。芝居はちょっとしたことで盛り上がるし、ちょっとしたことでテンションが下がる。いい感じで積み上がってきていたから、余計目立ってしまったのだろう。でも個人的にはすごく面白く感動した。

---------------------

「こころ」と「罪と罰」。文芸作品の舞台化をたまたま続けてみたわけだが、文芸作品が立体化されるというのは、どう脚本に起こすかにかかってくる。どちらも相当苦労したんじゃないかなと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ご報告

このブログの更新をだいぶ怠っていましたが、ちょっとご報告を。

この3月で、今勤めている学校を退職しました。今までの演劇部顧問生活は終了です。今まで築き上げてきた演劇部から離れるのは淋しく残念ですが(特に部員たちと離れるのが)、今後の演劇部の発展を祈念しています。

4月からは別の都内の私立高校でお世話になり、そこでまた演劇部顧問となるので、新たな環境で演劇部顧問となります。どういう演劇部になっていくのか、自分でもわかりません。

今度の学校の演劇部は東京都高等学校演劇連盟に加盟していないので、対外的に活動できるとしたら、まず加盟することからスタートになると思います。

さて、どうなることか…。

最後に、城西地区でお世話になった先生方に御礼申し上げます。ありがとうございました。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

自分が観たい芝居のタイトル

エチュードのネタとして…。

自分が観たい芝居のタイトル、というのを紙に書いてもらい、くじ引きする。引いた組は、そこに書かれたタイトルにあったエチュードを作る、というのをやってみた。つまり、タイトルだけ決まっていて、そこから芝居を作るということである

それで出てきたタイトル。

「諸葛孔明、現代で社長になる」「昼の月」「空の向こう」「ジャイアントスフィンクス」「十二単ブギ」
ちなみに「十二単ブギ」は私の書いた物。大学時代にやった芝居にあった台詞から引用。そうしたら「先生、ブギって何ですか!?」って質問が出て答えに困った。

「え、ブギはブギだよ。分からない?…とうーきょーブギウギー、とかさ、昔マッチがハイティーン・ブギって歌ってたけど、あ、知らないか。そういや俺が学生の頃、ADブギとか予備校ブギとかいうドラマがあったんだよ。楠瀬誠志郎の「ほーっとけないよー」って歌が流行ってさ…」

部員とのジェネレーションギャップを痛いほど感じた瞬間だった。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

台本の続きエチュード

基礎稽古として、わが部ではエチュードをよくやる。

以前、ワークショップに参加した時に、演劇カードゲームというのをやり、それを参考にしてエチュードをやっている。

過去のブログを参照

この前、練習用に印刷した台本の続きを、その場でエチュードでやるというのをやってみたら、これが思いのほか面白かった。

エチュードは、様々なバリエーションを思いつくと楽しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

諸刃の剣

台本を書くには、台本を読まないといけない。無から有は生まれないわけで、台本のネタというか、構成というか、文体というか、雰囲気というか、そういうのが自分の中にある程度蓄積されていないと、台本は書けない。そう思い、部活中、台本の本読みをしている

演劇部で定期購読している「季刊高校演劇」の中から、186号「京都大会上演作品集」所収の、都立八王子東高校演劇部『学割だからいいのよ』、亀尾佳宏『三月記 ~サンゲツキ~』を本読みした。この二作品を選んだのは、単純に登場人物の数が、部員の現状に合っていたから。

『学割だからいいのよ』は、正直私の頭では理解しづらかった。実際の上演されたものを見ると、わかるのかもしれない。芝居というより、パフォーマンスのようだった。でも、書いている生徒の頭の良さが感じられ、たぶん、即興やひらめきを再構成して台本化したのではないかと思う。

『三月記 ~サンゲツキ~』は、卒業生送辞を練習する女子生徒と、それを指導する無能でふざけた男性教諭、そこに不登校になった女子生徒がからんでくる話。高校演劇らしい、学校が舞台の台本だ。最初は男性教諭の駄目さが全面に出て、それがギャグになっているのだが、それが実は若年性アルツハイマーからくる反動であることがわかる。不登校生徒の飛び降り自殺をやめさせながら、その男性教諭が最後に校舎屋上から飛び降り自殺するという、結構ショッキングな幕切れ。

『トシドンの放課後』を読んだ(観た)時もそう思ったが、高校演劇の創作台本は、教育現場の今を如実に表している。こういう台本は、説得力がある。変に説教臭くないし、演劇という手段に則っている。

でも…。

あまりにリアルに教育現場を取り上げて演劇にしてしまうと、視野が狭くなると言うか、虚構という視点で芝居が作れなくなるのではないか。高校演劇において、教育現場の今を表現することと、学校を舞台とした演劇を作ることは、諸刃の剣なのではないか。難しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

創作を試みる!?

地区大会が終わり、わが部の対外的な発表は全て終了した。地区大会で「戦場のピクニック」を上演し、奨励賞を目指したが夢かなわず。

そんなわけで、わが部は「オフシーズン」の活動に入っている。

なんだかんだで、生徒創作・顧問創作の台本でやる高校の評価は高い。できればうちも創作をやりたいが、文化祭など学内向けだと、創作台本は「上の意向」で却下される。文化祭と地区大会で別の演目が上演できれば
いいが、文化祭から地区大会まで時間がないし、二つの芝居を同時進行で稽古できるほどうちは大規模の部活ではないので、文化祭と地区大会はどうしても同じ演目にせざるを得ない。となると、生徒のやりたいようにはできない、創作台本は書けないというのが、わが部の現状である。

でも、一度は自分たちで台本を書いてみてはどうだろうと思い、部員全員、必ず一つは短編でもいいから創作台本を書いてみようということにした。今年度の対外的な発表は終わったので、書く時間はたっぷりある。

なかなか自分たちの部の現状で上演できる台本は見つからない。見つからないなら、自分たちで書けばいい。自分たちにとっての面白い芝居のイメージはある。それを台本化すればいいじゃないか。と、言うのは簡単だが、それを実行するのは難しい。こういう台本がいい、ああいう芝居がやりたい。そういうイメージはあっても、台本という形にするのは並の苦労ではない。

意見を言うだけで、実際に台本が完成しないのでは、どうしようもない。それで後になって、創作台本がよかったなんて言っても、それは単なる愚痴でしかないし、建設的でもない。ものつくりは実際にものを作らないと意味がない。

前回の私学発表会では、うちの部員のTさんが星新一の『ブランコのむこうで』を脚本にした。彼女の頑張りが、芝居全体の雰囲気を作ったといっていい。あれに近いものが、また部員の中から出てくるといいのだが…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

地区大会の講評

地区大会でのうちの講評をまとめておく。

メモを取りながら聞いていたが、念のため携帯電話附属のICレコーダーにも録音していたので、そこからリライトしたものを整理してみた。

今回の審査員は2人。俳優の山本亘さん、舞台美術家の堀尾幸男さん。キャリアからみれば、この両名は舞台のプロである。朴訥とした語り口であったが、プロらしいコメントをいただけた。

・ 開幕のインパクトがあった。

・ 親父と息子の演技、手を使うのは古い。手を使いすぎ。手をなるべく使わない演技を考えてみると良い。

・ ゼポと、ザポ家族との違い。兵隊と一般人の違い。全く違う。体つきとか、すぐ殺されるんじゃないかという緊迫感。そういったものがないといけない。もっと緊張感があった方がいい。のんびりした家族と、緊迫した兵隊の違い。

・ メイクはあまり必要ない。そのままの素の顔で十分通用する。

・ 戦場へピクニックへ行くという、あの落差。もっと出る方がいい。家族はのんびりしている、こっち(兵隊)はピリピリしてるのに、それが一緒になって大団円するかと思うとズドンと殺されてしまう。そういう差が、もっと見えた方がいい。

・ 最後は、レコードだけ照明が当たって終わるといい。死んだというのは見ればわかるから、最後の衛生兵の場面は無くてもいい。

・ 戦場でシートを敷いてピクニックをするという脳天気さがよかった。

・ 戦争のとらえかたをもっと考えた方がいい。もっといろいろ調べて。煉瓦や鉄条網などで物理的に表現していたが、演劇の場合、何も物を使わないで戦争をいかに表現できるかである。物を出したら伝わらない。

・ ピクニックって何なのか。例えば、白い花を出したが、なぜ白なのかを意識したか?花だったら何でもいいというのではダメである。この花は何なのか、どういう花がいいのか、目立つのがいいのかどうなのか、よく考えた方がいい。演劇の基本は、やりたいことをやるである。でも、その次の段階として、どういう花だったら、自分たちのやりたいようにできるかと考えて悩みが始まる。悩みが始まると、物を作るという行為が生まれる。選ぶ、作る、創造する、これが演劇の基本勉強の第一歩である。深く悩めば悩むほど、プロになれる。勉強になる。

・ 戦争の色は何か。例えば、舞台一面に黒を敷いて戦場を表現する。そこに白いシートが敷かれてピクニックを作り上げる。それも創造であり、そこに創意工夫が生まれる。

・ 兵隊がスニーカーを履いていたが、あれはもっとごつい靴を探してきて、戦闘服を用意した方がいい。迷彩服とか、服にいっぱいくっつけているとか。父親は、上下麻のスーツで白い帽子を被って出てくるとか、母親はもっと派手に明るく着飾るとか、もっと場違いな感じがあってもよい。

・ ラストの照明。ホリゾントに紗幕越しに当てたのかと質問。ミスであることを伝えると、逆にあれがよかったと。結果オーライ、ですか!?


今回の審査員は、抽象的な舞台の見せ方の中に、リアリズムの演技を志向される傾向があったように感じた。その感覚の斬新さに、ほう…と感嘆した。

個々の役者の演技としては、「悩む」というのが欠けていたかもしれない。決してうちの部員たちが何も考えずに芝居をしていたというわけではない。ただ、もっと悩んで突き詰めることが可能だったんじゃないかということである。難しいところだが。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

地区大会終了

23日、地区大会の本番が終了した。

前日、22日に日芸でのリハーサル、その後学校に戻って通し稽古をしたが、その段階でメインの役者の一人が高熱でフラフラで、本番まで回復するか不安だった。「芝居は、一に体力、二に体力、三、四がなくて五に体力」と私は学生時代先輩に言われたが、稽古で疲れが溜まるのは誰でも同じなので、やはり疲れたなりにきちんと舞台をこなせるよう自己管理することが大事なのだ。常に舞台でベストを尽くせるようにする、ということである。まあ、この部員は何とか元気に回復してくれた。

本番では、最後夕焼けの明かりになるところで、完全に暗転してしまうというトラブルに遭った。日芸の学生スタッフ側のキューの打ち込みミスだったようだ。照明の部員曰く、謝ってもらえたからよかったとのこと。部員も「夕焼けを通り越して、そのまま夜になったという時間の経過の演出ってことにしましょう」とか「ミスじゃなくて演出と言い切りましょう」とか、前向きに照明トラブルをとらえているのでとても心強い。

芝居の本番にトラブルは付き物なので、これもその一つである。そう割り切るしかない。ただ地区大会はこの日、一回だけの公演である。やはりトラブルなく終わりたかったのが正直な気持ちで、ちょっと心残りではある。

しかし、夏からほぼ毎日稽古してきた日々が、これで終了だ。あとは都立西高での係分担である。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

文化祭終了!

文化祭、終了!

まあ、細かい反省点はあるが、芝居はおおまかに完成したと思う。後は23日の日芸中講堂での地区大会に向けて頑張るのみ。

ちなみに、今回はアラバールの『戦場のピクニック』である。台本としては古典でナンセンスである。これを元のままで上演すると、キツい部分がある。言葉のやり取りが今時でないとか、話の展開がぶっ飛びすぎているとか。その辺を今回は手直しして、どうしたら説得力のあるラストシーンになるかを考えて作ってきた。完璧ではないだろうが、戦争の不条理、無意味さを描くことはできているんじゃないかと思う。

しかしラストシーン、笑いが起きるのはちょっと意外な気もしたが、こっちの狙い通りでもある。これが吉と出ればいいのだが…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

合宿終了

8月10日から12日の2泊3日で、勤務先の蓼科の合宿所で合宿をしてきた。日中の日差しは暑かったが、日陰は涼しいので、過ごしやすかった。合宿所にあるホールを稽古場に使えたので、とても充実した稽古ができた。演劇の稽古以外にも、グラウンドで野球やサッカーもした。私も部員と一緒に身体を動かしたが、まだ何とか身体が動いた(若干筋肉痛だが…)。

いい感じできているなと思うと、誰かが台詞を忘れる、またはとちって、テンションが落ちる、というのが少し目立った。まだ台詞が完全に入っていないせいもあるが、集中力の持続というのがうまくできていないようだ。それは、自分の中で役のイメージが統一されていないのもあるのかもしれない。

あとは「息づかい」だろうか。台詞を言う時や言う瞬間、または台詞を言うまでの間、その役のリアルな息づかいが客席に届くといいなと思う。

さて、芝居の流れができてきたので、そろそろ大道具作成にとりかからないと…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

今日の稽古を終えて

学校のホールで稽古をした。まだ台詞を完全に覚えていないので、ところどころ抜けてしまう。とにかく台詞を一日も早く頭に入れてほしいと思う。

役者の声が、今ひとつ出ていないような気がした。声のベクトルが、きちんとしていないのだ。声が相手に届いていないとか、誰に向かって、どこに向けて言っているのかが、曖昧なのである。それ以前に、単純に身体の緊張から解放されず、声が前へ飛ばない部員もいる。

普段の部員同士のおしゃべりでは元気な声なのに、台詞になると弱い。これは台詞が頭に入って、台詞が役者の身体の中で肉体化されないと解決されないだろう

身体の動き、立ち姿が「軽く」見えてしまう部員もいた。スマートすぎるとでもいうか。映像ならいいかもしれないが、舞台ではもっと愚直なまでの荒々しさがほしい

しかし、なかなか役者がフルに揃わない。オープンキャンパスやら帰省やら講習やら、掛け持ちしているクラブの活動やら。役者が揃わないと稽古にならない。これが今一番の悩みである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

やるぞ!!

かなり、久々の更新、である。

個人的な日記はSNSのmixiで書いているので、こっちのブログは放置状態だった。いかんなと反省…。

学校が夏休みに入り、私も講習と演劇部に専念できるようになった。単純にうれしい。

24日(月)に地区会があり、参加した。今年は城西地区は22校の参加。しかし、予算的にも人員的にも、運営が厳しい状況にあるようだ(そのあたりのことは城西地区のブログを参照)。

とにかく、芝居をつくっていかないといけない。今の演劇部は部員数も少ないし、部員が全員揃う日も少ない(講習で抜ける部員がいるのだ)。残された時間を有効に使わないといけない。

地区大会の上演順も決まったので、上演許可願の申請に着手しないといけない。しかし、今回の台本、出版年が古く、すでに絶版となっている本に収められているので、まずその出版社への連絡手段を調べないといけない。

地区会で著作権の話が出て、一番問題となってるのは、創作台本と言っていたのに、実は既製台本の「パクリ」でしたみたいなものらしい。それで北海道のどこかの演劇部顧問が損害賠償として3000万円払うことになったとか。恐ろしい話だ。手続きは正規できちんとしなくてはいけないということである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「白夜の女騎士」を観劇

渋谷のBunnkamuraで「白夜の女騎士」を観てきた。

まだ上演中の芝居なので細かくは書かないが、期待以上におもしろかった。客入れの段階から、役者が舞台や客席をうろうろしていて、もう芝居は始まっているようだった。いや、始まっているというより、始めから芝居の裏側を見せているのだから、むしろ「終わり」を見せているという方がいいのかもしれない。「異化」だ。

話の流れとしては時間軸がとんでいるので、いくつも話の筋が交錯するし、場面転換も著しい。普通なら、役者の出入りの動きや、照明や音響を効果的に使うことで、時間や場面の変化を表現するだろうが、今回はケレンたっぷりで大がかりな仕掛けの舞台、振り落としも効果的だった。

舞台の脇にテレビがあって、そこにト書きが表示されるのはおもしろかったが、ちょっと反則な気もした。でも、難解な話だから、それもアリかもしれない。

刺激を受けたので、この感動を演劇部の活動に還元していかないと。こんな難しくて刺激的な舞台は作れないけど…。

ちなみにわが演劇部、新入部員が男子1名。でも有望な部員である。芝居を作るには人数が足りないが、がんばろうと思う。まずは、上演出来る台本探しだ!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

城西地区春季発表会

今日は高校演劇城西地区春季発表会を観に行った。

東京都高校演劇連盟では各地区ごとに春に発表会をやっているのだが、私の勤務先が属している城西地区だけは今まで春の発表会をやっていなかった(かつてはやっていたらしいが)。だからこれは、地区初の春季発表会ということになる。

うちも参加したかったが、部長の3年生が金曜日から修学旅行、2年生は前日に学校行事のウォークラリーで16キロ歩いていて、芝居を作れる状況でなかった。それに現在部員が6名で、そのうち1名が交換留学生で1ヶ月ニュージーランドへ行っていたから、芝居を作る人員も揃えられなかった。

あと個人的に3月末は家族と過ごしたかったのもある。部員には申し訳ないが、妻と8ヶ月の娘と一緒に過ごす時間を優先したかったのである。

せめて観客としてこの春季発表会に参加しようと思い、今日行ったわけである。芝居は観客がいて初めて成立するものだし、初の発表会ならば、観客動員って今後のために大切であるし、地区としての横のつながりも大切だ。うちの部員も3名観に来ていた。

全部の学校を観たわけではないが、ああ、新しい年度が始まったのだなと実感出来た。地区大会と比べると、若干稽古不足かなと思える部分があったが、年度末から年度始めをまたぐこの時期に芝居を作る労力は、大変なものである。わが部もがんばらないと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

この瞬間にこのタイミングで

毎年4月に演劇部で公演をする。新入生に演劇部をアピールし新入部員をいれるためと、部員の大会や発表会以外での芝居作りの実践のためである。

部員たちの要望が「笑える芝居」ということで(その方が演劇部に親しみを持ちやすいだろうとの考えから)、高校演劇戯曲選やネットで台本を探し「これなら!」というのが見つかった。印刷して部員に本読みさせ、しばらくして教室をのぞいたら「先生、これでやります」とすでに自分たちで稽古を始めていた。頼もしい。文化祭、地区大会、私学発表会と経験を積んだことで、自分たちでいろいろダメ出ししながらやっていた。

せりふの言い方や動きとかは自分たちで細かく見ているようなので、私は全体的なところから気づいた点を言うようにした。でも、どんなこと言えばいいか。

私の職場は毎年職員室が移動するかわったところなので、年度末は移動に備えて私物整理に追われる。それで「せりふの時代」2005年秋号が出てきたので目を通したら、ちょうどいい言葉が出ていた。「芝居のことば」という特集記事で、新国立劇場演劇研修所で講師をしているヴォイス・ティーチャーの池内美奈子さんのインタビューにあったものである。

「たくさんの共演者やスタッフがいる中で、この瞬間にこのタイミングで、自分はこの発言をしなければならない、という感覚を個々の俳優がしっかり持たないと、集団で芝居を作るということはできないんですね。」

この瞬間にこのタイミングで、というの読んで、確かにそうだと強くうなづいた。同じせりふでも、その台本が求める「この瞬間、このタイミング」というのがあるわけで、それがちょっとでもずれると芝居のテンポも崩れてしまう。これは理屈じゃなくて感覚、つまりセンスに関わってくる。こういう風に的確なアドバイスを即座に言えたら、素敵だなと思った。早速この記事をコピーして部員に配って読ませた。

一人の部員が「ヴォイス・ティーチャーなんて職業があるんですね」と言ったが、そういう職業が成り立つ演劇環境が日本の社会にもっと広がればいいなあと思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«心に残る芝居その2(別役実)